長野飛行場跡を見てきました。
かつての正門の名残。
平成の始めまで、登記上は飛行場として存在していました。
東京(羽田)や大阪行きなどの空路があったそうです。
太平洋戦争が始まる少し前に飛行が始まったものの、すぐ戦争時代に入り
日本陸軍の飛行場となりました。
私が小学生時代に、ここでセスナ機(小型機)を実際に見たことあります。
昭和50年代始めまでは実機がここにありました。社会見学だったかな?
この丸いカーブは、飛行機が方向転換するための場所だった名残。
現在はここに建った団地の駐車場として利用されています。
そして跡地には新しく中学校が設置されました。犀陵中学校。平成3年4月に
開校しています。第二次ベビーブーム世代が中学生の時には、長野市内の
中学校はキャパシティオーバーで45人クラスが12組とかでした(実話)。
私もその世代なので今の学生さん達は恵まれていますよ。(老人の愚痴)
川中島の青木島地区あたりに最初は飛行場を造ろうとしたそうですが、
貴重な農作地を潰すのか!と反対運動が起こり、現在の住所でいうところの
川合新田地区に飛行場が出来たそう。川合新田も名前の通り田んぼだけど。
田んぼに飛行場を造るとなると、やっぱり揉めますよね。
その最たるものが成田空港…
海上に造るとか砂州のところに造るとか河川敷に造るとかだとそんなに
揉めないのかな。富山空港とか河川敷みたいなところにありますよね。